2011.03.31 Thu
3月はたくさんの変化がありました。
そのために、各方面にご報告ご挨拶お礼など事務的なお仕事が多かった。
まず地震。
今回の地震は無視できるレベルではなかったから、特に発生初期はいろいろと思うところもあって、その都度誰かに伝えたりネットでツイートしたい、と正直思ったけど、我慢でした。何かしなければ、とは思っても、何より何も出来ないという身の程をわきまえねば。
個人的な感想とかリツイートも含めて無駄な情報の発信は正しい情報のノイズにしかならないからね。
僕の立場だと、災害の発生直後は邪魔にならないように黙って何もしないのがベストだと思うのです。出来ることといえば本当に募金くらい。
もしいま公務員なら、もう少し実質的なところで助けになれただろうなと、このときほど公務員になりたいと思ったことも無かったな。
大学院を修了。
この2年間はとても有意義で、大卒当時に就職しないで本当に良かった。
論文みたいなのも書いたし発表っぽいこともして、貴重な経験もできた。それでも、研究と言えるほど大層なことはできなかったけど。
学位こそ修士だけど、中身はまだまだ学士だと思う。ただ単に、「研究」という楽しそうな遊園地の前を通り過ぎた程度。楽しそうな音や声は聞こえるし、甘いお菓子の匂いも漂ってきて、研究が楽しいことなんだろうなということは分かったけど、中には入れなかった、みたいな。
ただ時間はあったから、改めてゆっくり周囲を見られたし、じっくり考え事もできたし、まったり散歩もできた。
いろんな人と話をしたし、いろんな考えにも触れた。専門書や小説も多く読めた。
平たく言えば色々な物の見方を知ったし、そのおかげで考え方がずいぶん変わったように思う。良いにせよ悪いにせよ。
そういえば、とにかく歩くのが好きになった。
ちょっとコンビニ行くのも、遠くに旅に出るのも、見える景色とか匂いとかをいちいち感じるようになって、それだけで楽しい。
とにかく、こんなに毎日が楽しいと思えたことはこれまで無かったし、楽しいと思える感性とか、楽観性とか、いまの自分になれたことが大学・大学院での最大の収穫と言ってもいいかな。
本質と価値とバランスという考え方ができるようになったのもこの2年間のおかげ。
でも、まだまだ足りない、とも思う。
もっと落ち着きが欲しいし、集中力だって欲しい。なにより知識が足りない。
世界にはいろいろな物事で溢れているし、本なりインターネットなりでそれらを簡単に学べる環境も整っているわけで。まるで、これらを最大限に利用してすべてを知り、楽しく有意義に生きなさいと言われている気さえする。「さぁ学べ!」みたいな。
全部を知った上で、全部の中庸でありたいと願うばかり。
というわけで、気持ちは生涯学生でいたいと思う次第です。
小学校の特別支援、学童保育、3歳児健診のバイトも終わり。
それぞれ、とても良い経験。
いろんな子と友だちになれたし、外で遊んだり一緒に絵を描いたり持ち上げたりしたのは個人的にすごい楽しかった。
最後の日には、支援で関わっていた子に泣かれてしまったり、ななみちゃんのお母さんにはわざわざ直接会いに来てくれてご挨拶をしてもらったりで、僕としても後ろ髪引かれる思いではありますが。
ていうか生活圏かぶってるので子どもとは普通に遭遇してしまって、それはそれで嫌なんだけども・・・。
そういえば満月の日、ついに24歳になった。ふた周り。。。
就職祝いも含めて、友だち、友だちの親御さん、バイト先、親などいろいろな方々から予想以上にたくさんお祝いの言葉とプレゼントを頂いて、なんだかとても幸せな気持ち。ありがたい。
ななみちゃんにも絵とお手紙のプレゼントを貰った。可愛い(*´ω`*)
こんなにたくさんの人からお祝いをしてもらったのは初めて。いろんな人に良くしてもらえて、とても幸せ。嬉しかったり申し訳なかったり。
考えて見れば、ぼくの周りにいた人たちは本当にみんないい人ばっかりだったように思う。悪い人なんていなかったんじゃないかな・・・。
友だちにも先輩にも後輩にも先生にも恵まれて、とても幸せな人生だったと思う。特に大学以降はそれを実感した。
しかもみんな何かしら尊敬できる部分があって、素直に凄いなーとか羨ましいなーと思える人ばかり。
そういえば、高校の英文法の先生、いわゆるマッシュが大学院の後輩だったので、ご飯を奢ってやった。先輩として。
相変わらずヤクザみたいなお顔で、ビビるべきか笑うべきか悩む飲み会でした。
ただ、話を聞けば大学も同じだったので向こうが大先輩だったというオチ。
さて。
これまでの人生、「なんとかなる」を座右の銘として、額に入れて心の壁に掛けてきたけど、まぁ実際、だいたいなんとかなったし、なるようにしかならない。
中高は試験の前日しか勉強とかしなくて、受験前でも補習サボって遊んでたから、普通に大学受験したら落ちてただろうし、就活なんてとてもじゃないけど面倒くさくて出来なかった。そもそも就職できたことが不思議。合格が何かの間違いで、いつか撤回されるんじゃないかと思うほど。
ただ、大学も就職も「ああ、多分こういう風になるんだろうな」とその後の自分をぼんやりイメージ出来ていて、逆にイメージ出来ないことはだいたい実現しなかった。
それ以上に、なんとかなってきたのは周りの人達が優しくて、且つ往々においてタイミングが良かったっていう外的な要因が強いように感じる。
とにかく、何事もなんとかなるし、なるようにしかならないから、悩まずに楽しみながら、適度に、楽観的にやってきた。そんな人生。
大学院もバイトも普通の生活も、ひとつひとつが貴重な経験で、とても素敵な思い出ばかり。
今後の課題は、適度にお金を貯めて、小説を書いて印税で一儲けして、本と猫に囲まれた寂れた喫茶店を開くことくらい。
なんとかなる。
明日は中央公会堂で発令式。
いよいよ。
そのために、各方面にご報告ご挨拶お礼など事務的なお仕事が多かった。
まず地震。
今回の地震は無視できるレベルではなかったから、特に発生初期はいろいろと思うところもあって、その都度誰かに伝えたりネットでツイートしたい、と正直思ったけど、我慢でした。何かしなければ、とは思っても、何より何も出来ないという身の程をわきまえねば。
個人的な感想とかリツイートも含めて無駄な情報の発信は正しい情報のノイズにしかならないからね。
僕の立場だと、災害の発生直後は邪魔にならないように黙って何もしないのがベストだと思うのです。出来ることといえば本当に募金くらい。
もしいま公務員なら、もう少し実質的なところで助けになれただろうなと、このときほど公務員になりたいと思ったことも無かったな。
大学院を修了。
この2年間はとても有意義で、大卒当時に就職しないで本当に良かった。
論文みたいなのも書いたし発表っぽいこともして、貴重な経験もできた。それでも、研究と言えるほど大層なことはできなかったけど。
学位こそ修士だけど、中身はまだまだ学士だと思う。ただ単に、「研究」という楽しそうな遊園地の前を通り過ぎた程度。楽しそうな音や声は聞こえるし、甘いお菓子の匂いも漂ってきて、研究が楽しいことなんだろうなということは分かったけど、中には入れなかった、みたいな。
ただ時間はあったから、改めてゆっくり周囲を見られたし、じっくり考え事もできたし、まったり散歩もできた。
いろんな人と話をしたし、いろんな考えにも触れた。専門書や小説も多く読めた。
平たく言えば色々な物の見方を知ったし、そのおかげで考え方がずいぶん変わったように思う。良いにせよ悪いにせよ。
そういえば、とにかく歩くのが好きになった。
ちょっとコンビニ行くのも、遠くに旅に出るのも、見える景色とか匂いとかをいちいち感じるようになって、それだけで楽しい。
とにかく、こんなに毎日が楽しいと思えたことはこれまで無かったし、楽しいと思える感性とか、楽観性とか、いまの自分になれたことが大学・大学院での最大の収穫と言ってもいいかな。
本質と価値とバランスという考え方ができるようになったのもこの2年間のおかげ。
でも、まだまだ足りない、とも思う。
もっと落ち着きが欲しいし、集中力だって欲しい。なにより知識が足りない。
世界にはいろいろな物事で溢れているし、本なりインターネットなりでそれらを簡単に学べる環境も整っているわけで。まるで、これらを最大限に利用してすべてを知り、楽しく有意義に生きなさいと言われている気さえする。「さぁ学べ!」みたいな。
全部を知った上で、全部の中庸でありたいと願うばかり。
というわけで、気持ちは生涯学生でいたいと思う次第です。
小学校の特別支援、学童保育、3歳児健診のバイトも終わり。
それぞれ、とても良い経験。
いろんな子と友だちになれたし、外で遊んだり一緒に絵を描いたり持ち上げたりしたのは個人的にすごい楽しかった。
最後の日には、支援で関わっていた子に泣かれてしまったり、ななみちゃんのお母さんにはわざわざ直接会いに来てくれてご挨拶をしてもらったりで、僕としても後ろ髪引かれる思いではありますが。
ていうか生活圏かぶってるので子どもとは普通に遭遇してしまって、それはそれで嫌なんだけども・・・。
そういえば満月の日、ついに24歳になった。ふた周り。。。
就職祝いも含めて、友だち、友だちの親御さん、バイト先、親などいろいろな方々から予想以上にたくさんお祝いの言葉とプレゼントを頂いて、なんだかとても幸せな気持ち。ありがたい。
ななみちゃんにも絵とお手紙のプレゼントを貰った。可愛い(*´ω`*)
こんなにたくさんの人からお祝いをしてもらったのは初めて。いろんな人に良くしてもらえて、とても幸せ。嬉しかったり申し訳なかったり。
考えて見れば、ぼくの周りにいた人たちは本当にみんないい人ばっかりだったように思う。悪い人なんていなかったんじゃないかな・・・。
友だちにも先輩にも後輩にも先生にも恵まれて、とても幸せな人生だったと思う。特に大学以降はそれを実感した。
しかもみんな何かしら尊敬できる部分があって、素直に凄いなーとか羨ましいなーと思える人ばかり。
そういえば、高校の英文法の先生、いわゆるマッシュが大学院の後輩だったので、ご飯を奢ってやった。先輩として。
相変わらずヤクザみたいなお顔で、ビビるべきか笑うべきか悩む飲み会でした。
ただ、話を聞けば大学も同じだったので向こうが大先輩だったというオチ。
さて。
これまでの人生、「なんとかなる」を座右の銘として、額に入れて心の壁に掛けてきたけど、まぁ実際、だいたいなんとかなったし、なるようにしかならない。
中高は試験の前日しか勉強とかしなくて、受験前でも補習サボって遊んでたから、普通に大学受験したら落ちてただろうし、就活なんてとてもじゃないけど面倒くさくて出来なかった。そもそも就職できたことが不思議。合格が何かの間違いで、いつか撤回されるんじゃないかと思うほど。
ただ、大学も就職も「ああ、多分こういう風になるんだろうな」とその後の自分をぼんやりイメージ出来ていて、逆にイメージ出来ないことはだいたい実現しなかった。
それ以上に、なんとかなってきたのは周りの人達が優しくて、且つ往々においてタイミングが良かったっていう外的な要因が強いように感じる。
とにかく、何事もなんとかなるし、なるようにしかならないから、悩まずに楽しみながら、適度に、楽観的にやってきた。そんな人生。
大学院もバイトも普通の生活も、ひとつひとつが貴重な経験で、とても素敵な思い出ばかり。
今後の課題は、適度にお金を貯めて、小説を書いて印税で一儲けして、本と猫に囲まれた寂れた喫茶店を開くことくらい。
なんとかなる。
明日は中央公会堂で発令式。
いよいよ。
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